OHMORI GROUP

RESEARCH

極低温リュードベリ原子を用いた超高速量子シミュレータ・量子コンピュータ

私たちは、これまでの研究(分子やバルク固体における波束干渉)で培ってきたアト秒精度の超高速コヒーレント制御技術を、全く異なる対象である極低温リュードベリ原子に適用し、新しいタイプのリュードベリ原子量子シミュレータ・量子コンピュータを開発しています。

    リュードベリ原子とは、最外殻電子を非常に高いエネルギー(大きい主量子数n)へと励起した原子のことです。電子の波動関数の大きさはn2でスケールし、数100 nm以上にもなります。また、このような遠距離にあるリュードベリ電子と原子核が形成する電気双極子もまた大きくなり、2つのリュードベリ原子間には大きな双極子-双極子相互作用が生じるため、原子同士が数μm程度離れていてもお互いに相互作用するようになります。この相互作用は、主量子数nや原子間の距離を調整することで制御できます。

    最先端のレーザー冷却技術トラップ技術を用いて、原子の位置や速度を極限まで制御することで極低温状態を作り出すことができます。リュードベリ原子間の双極子-双極子相互作用は、原子間の距離に非常に敏感であるため、量子物理学が許す限り極限まで原子の位置や速度の自由度を制御する必要があります。そこで、光で構成されたトラップ(=光格子や光ピンセット)を使って原子をトラップした後、原子を量子領域まで冷却して熱揺らぎを取り除きます。光トラップの底に閉じ込められた原子は、数10 nm程度の微小な量子揺らぎのみを持った状態となります。

    私たちは、超高速で原子をリュードベリ状態へと励起する技術を持っています。リュードベリ原子を用いた従来の研究では、主にCW(連続波)レーザーを使って原子をリュードベリ状態へと励起しており、基底状態の電子とリュードベリ電子の波動関数の空間的重なりの小ささとレーザー光出力の限界に起因して、励起には通常0.1 μs程度の時間がかかります。これはリュードベリ電子の寿命(~100 μs)と比較すると高速ですが、リュードベリ軌道間のエネルギー差で決まる半径方向の電子の運動周期(~10 ps)の1万倍程度の時間がかかっていることになります。私たちは、パルスレーザー技術を用いてピコ秒という短時間にレーザー光強度を集中させることで、このギャップを解消し、リュードベリ状態の超高速励起を実現しました。さらに、スペクトル整形技術によりパルス時間を制御することで、複数のリュードベリ電子軌道の重ね合わせ状態を作り出し、リュードベリ電子波束を形成することも可能です。超高速化によって、強く相互作用しあうリュードベリ原子を使ったエキサイティングな新しい物理を探求することが可能になっています。


超高速・極低温リュードベリ量子シミュレータ・量子コンピュータ
   上記の技術やアイデアを組み合わせることで、私たちは量子物理学の新しい領域を探求しています。技術開発から基礎物理の探索に至るまで、多様な疑問や課題に挑戦しています。

   これらの問いに答えるために、私たちは自らの手で一から3世代の実験装置を開発してきました。

【第1世代装置】

  図1. 第一世代装置の概念図:光双極子トラップ中の原子集団をパルスレーザーを用いてリュードベリ状態へと励起する。文献[1]より引用。  

   第1世代装置では、87Rb原子を磁気光学トラップで冷却し、光双極子トラップに移した後、平均原子間距離が1 μmの無秩序な原子集団を形成することに成功しました(図1)。ここでは、光双極子トラップを用いて発生させた強相関・極低温リュードベリ気体中の超高速・多体電子ダイナミクスを、超高精度コヒーレント制御技術によってアト秒スケールで観測・制御する事に成功しています [1]。

【第2世代装置】

  図2. 蒸発冷却の異なるステージでの原子集団の吸収イメージング。20 msの自由膨張後に撮影。  

   第2世代装置では、さらに一歩進んで、87Rb原子のボースアインシュタイン凝縮体(図2。2015年に初観測)を光格子中に導入(図3。2016年に初観測)し、unit-fillingモット絶縁体を生成(図4。2016年に初観測)することにより、532 nmの立方格子を作る最大3万個の極低温原子の秩序だった原子配列を実現しました。また、私たちは光双極子トラップおよび光格子中における強相関リュードベリ気体の多体電子ダイナミクスを記述する理論モデルの開発にも成功しました [2]。

  図3. 蒸発冷却の異なるステージでの原子集団の吸収イメージング。20 msの自由膨張後に撮影。  

  図4. Unit fillingモット絶縁体。光格子の各サイトに1個ずつ原子がトラップされる。  

【第3世代装置】

   第3世代装置では、レーザー冷却された87Rb原子を1個ずつ個別に保持することができる微細な光ピンセット配列(図5)を作り、1000個程度の原子を1つ1つ個別に操作・観測しています(図6)。この光ピンセット配列では、原子の配列形状を自由に変更することができ、原子間距離は約1 μm程度にまで短くすることが可能です。

  図5. 光ピンセット配列系。空間光変調器により波面制御されたレーザー光を対物レンズにより集光することにより、任意形状の光トラップ配列を作り出し、個別原子を捕獲することができる。  

  図6.光ピンセット配列中にトラップされた原子の蛍光イメージング。個々の点は単一の原子からの蛍光。  

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コヒーレント制御、量子力学、波束、分子コンピューター

物質の波動関数の干渉を光で制御する技術をコヒーレント制御と呼びます。その応用は、量子コンピューティングや結合選択的な化学反応制御といった先端テクノロジーの開発に結びつくだけでなく、量子力学的な世界観の検証においても有用であると考えています。私たちは、気相孤立分子の電子振動波束にアト秒(アト=10-18)精度で制御されたレーザー電場の振幅と位相の情報を完全に転写することによって、それらが干渉してできる量子力学的な時空間模様をピコメートル・フェムト秒レベルの時空間分解能で多彩に加工し可視化することに成功しました [3-8](図7)。
   この技術を駆使して、現在は次のような課題に取り組んでいます。

  図7:アト秒ピコメートル精度でデザインし可視化された波束干渉の時空間模様。ヨウ素分子内で対向して運動する2個の振動波束の相対位相を(a) 0度;(b) 90度;(c) 180度;(d) 270度に固定した。文献[3]より引用。  

 

バルク固体のコヒーレント制御

今後分子コンピューターを実用化し、量子・古典境界の謎を解き明かすためには、凝縮系への展開が必要と考えています。コヒーレント制御が物質の波動性に基づく限り、これを巨視的な多体相互作用系で実現する可能性を追求すること自体が、量子論的な世界観の検証となるでしょう。上記の超高速量子シミュレーターの研究によって得られるであろう固体結晶系の量子コヒーレンスの観測制御スキームを実在のバルク固体に適用することによって、凝縮系のコヒーレント制御を実現させることを目指しています。私たちは既に、YBa2Cu3O7-d結晶を用いたコヒーレントフォノンの制御 [9]、および固体パラ水素中に非局在化したvibron状態の量子干渉制御 [10](図8)に成功しています。また、ビスマス単結晶中の超高速2次元原子運動を全光学的に制御して可視化することにも成功しています [11]。

  図8:固体パラ水素中に非局在化したvibron状態の量子干渉の実時間観測。照射するレーザーパルスのタイミングを4フェムト秒だけずらすことで建設的干渉(赤線)から破壊的干渉(青線)へとアクティブに制御することに成功した[10]  

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気相孤立分子を用いた分子コンピューター

これまでに開発してきた超高速コヒーレント技術を応用して、分子1個の中の波動関数を情報担体として利用する分子コンピューターの研究を行っています。私たちは、0.3nmサイズの分子の中の波動関数を使って、従来のスーパーコンピューターの1000倍以上の速度でフーリエ変換を実行することに成功し、分子1個が超高速コンピューターとして機能し得ることを実証しました [12]。さらに任意の演算を実行するためには、分子内の情報を外部から書き換える新たな技術が必要でした。この要請のもと、私たちは従来は干渉しないと考えられていた分子の中の異なったエネルギー状態の波動関数が、赤外レーザーパルスの照射によって混じり合い干渉するという全く新しい物理現象を発見しました [13](図9)。この現象を高強度レーザー誘起量子干渉と呼んでいます。この干渉現象を利用して、分子内の複数の波動関数の強度を変化させることで、書き込まれた情報を外部から書き換えることに成功しました[13]。この技術は、分子コンピューターで任意の演算を実行するための基盤技術として期待されるほか、固体や液体の中で周囲の原子や電子との相互作用によって乱された波動関数を復元する基盤技術の開発にも役立つと考えています。

  図9:高強度レーザー誘起量子干渉。従来は混じり合うことは無いと考えられてきた異なるエネルギー状態の波動関数が、高強度の赤外レーザーパルスで混じり合い干渉するという全く新しい物理現象が発見された [13]。  

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References

[1] N. Takei, C. Sommer et al., Nature Communications 7, 13449 (2016).
[2] C. Sommer et al., Phys. Rev. A 94,053607 (2016).
[3] H. Katsuki et al., Phys. Rev. Lett., 102, 103602 (2009).
[4] K. Ohmori, Annu. Rev. Phys. Chem. 60, 487-511 (2009).
[5] H. Katsuki et al., Phys. Rev. A 76,013403 (2007).
[6] K. Ohmori et al., Phys. Rev. Lett., 96, 093002 (2006).
[7] K. Ohmori et al., Phys. Rev. Lett., 91, 243003 (2003).
[8] H. Katsuki et al., Science 311, 1589-1592 (2006).
[9] Y. Okano et al., Faraday Discuss., 153, 375-382 (2011).
[10] H. Katsuki et al., Phys. Rev. B 88,014507 (2013).
[11] H. Katsuki et al., Nature Communications 4, 2801 (2013).
[12] K. Hosaka et al., Phys. Rev. Lett., 104, 180501 (2010).
[13] H. Goto et al., Nature Physics 7, 383-385 (2011).