三次元にある物質がその鏡像と重ね合わすことができない性質を「キラリティー」といい、この性質をもつ分子を「キラル分子」といいます。
例えば、炭素に結合する四つの置換基がすべて異なるとき、見た目は同じに見えても空間的な位置関係が異なるため、分子の実像は鏡に映った鏡像と重ね合わせることができません。これが化学における「キラリティー」です。このような構造をもつ分子を「キラル分子」といいます。キラル分子は、ちょうど右手と左手のように互いに鏡像の関係にある1対の立体異性体をもち、これらの異性体を、互いにエナンチオマーあるいは鏡像異性体と呼びます。
エナンチオマー間での物理的性質は、ほとんど同じです。一方、化学的性質は、条件により大きな違いが見られます。
直線偏光が物質中を通過した際に回転する現象を「旋光」といいます。キラル分子に関する研究は、19世紀初期の旋光現象の発見からはじまりました。
アラゴー(Arago)とビオ(Biot)の発見:直交偏光子の中間に石英結晶を置くと光学軸方向に透過する太陽光が色を持つことを発見。この色の原因が直線偏光の偏光面の回転(旋光)にあることを明らかにする。
フレネル(Fresnel)の報告:旋光現象が2つの円偏光成分に対する屈折率の違いとして理解できることを示す。
パスツール(Pasteur)の発見(1848年):パラ酒石酸(ラセミの酒石酸)ナトリウムアンモニウム結晶を2つのグループに分割して別々に水に溶かしたものが同じ大きさで反対向きの旋光を与えることを報告。
生体内では、実に巧みにキラルな高分子が合成され驚くべき機能を発現しています。私たちの生命活動は、約60兆個といわれる細胞により支えられています。細胞は有機物と無機物からなり、タンパク質、炭水化物、脂質、核酸が有機物の主要な構成成分です。
タンパク質や核酸の構成単位は、例外なくキラル分子です。タンパク質はL体のアミノ酸から、炭水化物はD体の糖からできています。生命の進化のどの段階で、どのようにホモキラリティーが生成したのか、その機構は、現在も未解決のままです。
私たちは、日々の生活で、食べ物であれば味や匂いを感じ、農薬や医薬であれば薬効や毒性・副作用を受けます。これらすべてが、私たち生命がホモキラルな分子の集合体であることに由来しているのです。
私たち生命は、キラリティーの違いを鋭敏に認識します。そのため、医薬品、甘味料および香料、農薬の開発では、キラル分子が欠かせません。また、最近では、キラルな化合物が強誘電性液晶のバルクあるいはドーパントとして注目され、高機能性液晶として盛んに研究されています。
生命現象と化学現象の理解を進めること、キラル分子をデザインし、新たな反応・手法の開発により新奇なキラル分子の合成を進めることは、既存の化学では成し得なかったキラル分子を創り出し、キラル分子科学の進展に繋がります。さらに、化学分野と他分野とが融合して研究を推進することで、本領域は、より一層発展していくことでしょう。キラル分子に関する基礎研究は、私たちの社会生活に密接する重要な研究課題です。